多死社会をどう生き抜くか(前篇) ―変化する「死」のあり方

いま、日本は静かに「多死社会」と呼ばれる時代へ向かっています。
年間の死亡者数はすでに160万人を超え、2040年には180万人前後に達すると言われています。
これは戦後のベビーブーム世代が80代を迎える時期と重なり、「亡くなること」が社会のあらゆる場所で日常化するということです。

けれど、数の問題だけではありません。
もっと本質的なのは、「死のあり方」が大きく変わりつつあるということです。

 

「最期の場所」はどこに?

かつては、人生の最期を迎える場所といえば自宅でした。1950年代には自宅で亡くなる人の割合が8割近くにのぼっていた時期もありました。
その後、医療機関で亡くなる人の割合が急速に上昇し、2000年代初頭には医療機関で死亡する割合が8割前後という水準に達しました。

在宅介護の厳しい現実しかし、医療費や介護費の増大により、国は「在宅での看取り」を推進しています。
もちろん「住み慣れた家で穏やかに最期を迎える」という考え方は美しいものです。
ですが、実際に家族がそのケアを担うとなると、そこには想像以上の負担がのしかかります。

現実には、在宅看取り率はわずか15%前後。
国が理想とする“地域包括ケア”は、まだ整っていません。
医師が不足し、夜間の往診体制が整わず、家族が介護を担うしかない。
その結果、「病院に戻るしかない」というケースが後を絶ちません。

介護離職や共倒れ、家族関係の摩擦。
誰かの最期を支えることが、誰かの人生を大きく変えてしまう――。
そんな現実が、静かに広がっています。

「自宅で看取る」と言いながら、実際にはその支援の現場が追いついていない
ここに、日本の多死社会の最大のひずみがあります。

支える側も限界に近い

介護職員の数は慢性的に不足し、離職率は毎年15%前後。
要介護認定者数は、2000年の218万人から2023年には723万人へと3倍以上に増えました。
にもかかわらず、介護報酬は上がらず、人件費の上昇も追いつかない
人が足りない現場では、ゆっくりと手を握る時間さえ奪われています。

介護職の人たちはこう語ります。

「看取る時間が一番大切なはずなのに、制度上の“加算”がないとできないんです」

お金でしか評価されないケアの現場。
そこに、「死を支える文化」が崩れた日本の現実が表れています。

葬祭業界でも、人材不足が深刻です。
最期の時間を支える仕事が、過酷で報われにくいものになっているのです。

つまり「多死社会」とは、
単に亡くなる人が増えるということではなく、
支える人が足りない社会”でもあるということでもあるのです。

 

「看取る」ことの孤独、「看取られる」ことの不安

現代の日本では、家族の形そのものが変わりました。

東京都監察医務院の発表によると、都内で「自宅で誰にも看取られずに亡くなった人」は、2023年時点で年間7,000人超。
この数は、今や交通事故死の10倍以上です。

孤立死は“事件”ではなく、社会構造の副産物となりつつあります。
単身世帯は全国で約1,500万世帯。2040年には全世帯の約40%が一人暮らしになると見込まれています。
つまり、「最期をひとりで迎える」ことはもはや珍しくありません。

孤独死は他人事ではない一人暮らしの高齢者の二人に一人が「最期はひとりで迎えるかもしれない」と感じています。
地域とのつながりが希薄になったいま、「看取られる」ということが、かつてよりもずっと難しくなっているのです。

 

誰に見送られるのか。
どうやって最期の時間を過ごすのか。
それを他人任せにできない時代に、私たちは生きています。

 

死を支える文化をどう取り戻すか

私たちにできること

そんな時代に、個人ができる備えは何でしょうか。
それは「モノの整理」や「手続きの準備」だけではありません。

まず、自分がどんな最期を望むのか、誰にどんな負担をかけたくないのか――
その思いを言葉にし、共有しておくこと。
エンディングノートや家族会議は、未来のトラブルを防ぐための“優しさの表現”なのです。

そしてもう一つは、「支え合い」を取り戻すこと。
家族だけで抱えず、地域の人、専門職、友人、ボランティア…
多様なつながりの中で支え合うことが、これからの時代には不可欠です。

誰も取り残さない最期へ

誰も取り残さない最期へ私たちの社会は、医療・介護・葬儀のどの領域でも「効率化」と「コスト削減」を求めてきました。
しかし、死は効率では測れません
本来、“非効率”の中にこそ、人の温かさや尊厳は宿るのではないでしょうか。

今こそ、「誰かの最期を支える」という行為を、社会全体の責任として見直す時です。
家族だけでなく、地域、専門職、そして行政。
それぞれが少しずつ関わることで、“誰も取り残さない最期”に近づくはずです。

 


次回の後篇では、医療・介護・葬儀という“死をめぐる三つの現場”から、
社会がどこまで備えられているのか、そして私たちはどんな選択をしていくべきかを見つめていきたいと思います。

多死社会をどう生き抜くか(後篇) ― 死と向き合う選択

この記事を書いた人

今井 賢司
今井 賢司終活カウンセラー1級 写真家・フォトマスターEX
終活サポート ワンモア 主宰 兼 栃木支部長。立教大学卒。写真家として生前遺影やビデオレター、デジタル終活の普及に努める傍ら、終活カウンセラーとして終活相談及びエンディングノート作成支援に注力しています。

また、「ミドル世代からのとちぎ終活倶楽部」と題し「遺言」「相続」「資産形成」といった終活講座から「ウォーキング」「薬膳」「写経」「脳トレ」「筋トレ」「コグニサイズ」などのカルチャー教室、「生前遺影撮影会」「山歩き」「キャンプ」といったイベントまで幅広いテーマの講座を企画開催。

こころ豊かなシニアライフとコミュニティ作りを大切に、終活支援に取り組んでいます。栃木県宇都宮市在住。日光市出身。

終活カウンセラー1級
エンディングノートセミナー講師養成講座修了(終活カウンセラー協会®)
ITパスポート
フォトマスターEX

- 近況 -
・「JAこすもす佐野」「栃木県シルバー人材センター連合会」「宇都宮市立東図書館」「塩谷町役場」「上三川いきいきプラザ」「JAしおのや」「真岡市役所」「とちのき鶴田様」「とちのき上戸祭様」「栃木リビング新聞社」「グッドライフ住吉」にて終活講座を開催しました
・JAこすもす佐野にて生前遺影撮影会を開催します

終活相談・講座のご依頼はお問い合わせフォームからお願いします。
-----------------------------------------------------------------------------------
終活相続ナビに取材掲載されました
・下野新聞に取材記事が特集掲載されました(ジェンダー特集
・リビングとちぎに取材記事が一面掲載されました(デジタル終活)

Follow us